数多の世界を彩る英雄伝

紡ぎ謳われ受け継がれる



………ポロン


ハープの揺れが最後の旋律をそっと響かせる

一拍の静寂の後、その場を支配するのは人々の拍手

沢山の音に囲まれ、謳い終わった奏者は軽く一礼を

其れに呼応するように大きくなる拍手



此処は何処にでもある静かな街の酒場

そして、その中で謳ったのは何人居るとも知れない二流の吟遊詩人の一人

小さな町では詩人は滅多に現れない

そんな娯楽の少ない街だからこそ、吟遊詩人は歓迎された

これがもし大きな町であれば、客の奪い合いで二流の詩人は苦労をした事だろう



「ふぅー。今日は結構お客さんが多かったですねぇ」

「お疲れ様、おかげでうちも何時もより繁盛してるよ。ああ、お茶でよかったかな?」

「ええ、一応喉が商売道具ですからエールやラム酒はちょっと」

「はは、そりゃそうだな。お、そうだ。良かったら息子の面倒頼めないかな。まーたお前の子守唄が聞きたいってせがんで寝やしないんだよ、あいつ。ほら、これでどうだ」


トンっとテーブルにカップが置かれる

沸き立つ湯気に甘い香り

温かい紅茶だった


「あはは、小さいとはいえお客さんがついてくれるとは僕もそろそろ一人前ですかね。あ、有難う御座います」

「お前さんは十分良い歌い手だよ。昔此処に来た歌い手を思い出したよ。あの人も立派な歌い手だったなぁ。多分聞きに着てた町のもんもそう思ってるだろうさ」

「へぇ、そりゃ嬉しいですね。でも、これが実際大きいところへ行くと中々で。やっぱり一流の人には遠く及ばないですよ」

「そんなもんなのかねぇ。まぁ、頑張ってりゃ何時か納得出来る日が来るさ。ところで、後数日は居るんだろう?」

「ええ、良ければもう3,4日歌わせて頂きたいですね」

「OKOK。じゃあ、もう少しだけ頼むな。さて小さなお客がお待ちかねだ。悪いが頼んだよ」

「はは、了解。営業活動してきますよ」


紅茶を飲み干すと酒場の奥の一家が暮らす母屋へ

その中の一室。子供用の部屋だろう、玩具や絵本が転がっている

部屋の窓際に置かれたベッドの上には小さな男の子が目を輝かせて待っていた


「もー、遅いよ。僕待ち草臥れちゃった」

「ああ、ごめんごめん。少しお父さんとお話してたんだよ」

「パパかぁ。むー、早く呼んでねって言ったのに」

「後、お茶を頂いていたからね。お父さんは悪くないさ」

「うんー。解った。あ、今日のお話は何?」

「そうだねぇ、今日はどんなお話にしようかな」


はて、と考える

酒場での歌は彼も毎日聞いている

そうして此処に着てからは毎晩彼の為にも歌っている

ともなれば謳える歌はそう多くは残っていない

ならば


「今日は歌に憧れる男の話をしようか」

「英雄さんのお話じゃないんだ?歌に憧れるってどんな人なのー?」

「その人はね。勇者と呼ばれるほど勇気も無くて、戦士の様に腕っ節も無くて、でも、ある事にだけは自信が有った人なんだよ。それは…」


ポロン…と持っていたハープを鳴らす

すると少年はまだ何か聞きたそうにしながらも黙って奏者の歌を待った


「それは世界の片隅の物語


英雄でもなく勇者でもない日々を慎ましく暮らし、彼らに憧れる者達の物語


一人の吟遊詩人の物語」


ポロン、ポロン・・・とハーブが音を奏でてゆく

客は一人

けれども奏者は歌を疎かにする事は無く謳い続ける


「彼が生まれたのは山間の村

其処では娯楽も何も無く、変わらない日々が続く

そんな彼に訪れた一つの転機、それは……」


ハープの音が止まる


音の変わりに部屋を彩るのは奏者の声

低く、染み渡る様に

決して一流とは言えない、けれども耳に優しい低い音色


「村を訪れた一人の吟遊詩人

村の人々はその声に、その物語に酔いしれる

彼の歌声は神の声、山の獣も聞き惚れて

村の酒場は大騒動

連日連夜、詩人の歌声は山間の村を彩り続けた


その歌を聞いた少年は自身の声を省みる


声変わりをしていない高い声

村の中では一番と思った自慢の声


打ち砕かれた自信と同時に得たのは強い憧憬の念


少年は吟遊詩人に憧れた

そうして彼は試みる

あの人へついて外へ出ようと」



再び弾かれるハープの音色

それは低い声と重なって部屋に世界を作り出す



「願いは軽く受け入れられ

少年は夢の世界へ一歩踏み出す

初めて見た外の世界

師と旅して周る世界は刺激的だった

見る物触れる物出会う物、全てが新しい世界

それは若い少年には刺激的で

彼は何時しか歌う事を忘れていった


ついには師とも別れ、彼は一人で世界を歩き始める


歌を忘れて世界を歩き、気付いた時には彼の声は死んでいた


そこで彼は漸く気付く


自分があの日、追い求めた世界を」



窓から小さく虫の声が響く

ハープに声に虫の音

三者が織り成す小さな世界



「死んだ声を追い求めて彼は再び旅をする

師と巡った旅路を

あの時覚えた憧憬を追い求めて


けれど一度死んだ声は元には戻らず

彼は街を行く度に自身の声に打ちのめされた

それでも旅を続ける内に彼は死んだ声でも術を得て

やっとの事で歌を謳う

それは憧れには程遠く

亡くした声にも届かない


それでも彼は歌を謳う


追い求めたのあの日を取り戻そうと」




ハープの音色が止まる

聞こえる音はもはや彼の声だけ

そうして最後の一小節が紡がれる



「それは世界の片隅の物語

 

英雄でもなく勇者でもない日々を慎ましく暮らし、彼らに憧れる者達の物語

 

歌を志し、歌を求めた、一人の吟遊詩人の物語」



ポロン…



ハープが透き通った音を奏でる

そして一拍

部屋に訪れるのは静寂


そして


「スー、スー・・・・・・・・・」

「おや?」


少年の寝息

どうやら何時ものように歌の途中で寝てしまったようだ

奏者は軽く微笑むと彼にそっと毛布を掛けて部屋を去る


そうして酒場の二階にとった自分の部屋に

戻ってすぐに着替えもせずにベッドの上に倒れ込むと、数秒後には此処でも寝息が聞こえ始めた



明日は何を謳おうか




世界を巡る彼の旅は終わらない




fin